ストラテラ大体ゆめ

悪夢をよく見ます。全体の風景に色は少なくてモノクロに近い。繁華街の外れの入り組んだ道を、めちゃくちゃ凶暴で鬼の形相の、母親が追いかけてきて私を滅多刺しにします。バイオハザードのゲームみたいな、リアルだけど妙にチープな色の血が出まくって私は傷だらけ、痛い痛い、これでもかといくつも致命傷を負って、それでもなぜか何時間も生きています。生きたまま殺されている。怖すぎる。痛い。逃げたくても思うように体を動かせず、凶器でズタズタにされるがまま。しまいには、体との比率が狂った異様にでかい手で首を絞められ、現実の私がいきなり絶叫して目を覚まします。母親でなく父親が凶暴化した姿で出ることもあります。こんな悪夢が、ひどい時には丸2週間くらい続いて、眠るのが怖いからずっと起きていようとしたら、離人してきたのでやめました。最近は忘れた頃にひょこっと悪夢があらわれるくらいになりました。

私の家庭に暴力はほぼ無く、平和でした。幼少期の思い出やトラウマ、昨日の嫌な出来事とかでも無ければその夢は何なのかというと、私の憧れが私を殺す姿に他なりません。父と母は私の理想そのものであり、父は私に対して、俺のように立派になるといいぞ(この場合の立派とは、いい大学に入っていい企業に就職し安定した暮らしと結婚相手を見つけること)と教育してきました。父は私になんでも与えてくれました。学校の友達と遊ぶゲームボーイ、水泳とテニススクール、絵画教室、学習塾にも望めば入れてくれた。勉強は成績が良ければ褒めてくれたけど、悪い教科についてとくに叱られなくて、興味のあることを好きなだけ勉強させてくれました。頭がいい人ってこういう人を言うんだなあ、お金に困らないってサイコーだなあと。その父と結ばれた母親は父のように優しくて、面白くて、少し変で、江口寿史みうらじゅんが好きで、いつも化粧の時間が長いけど綺麗な人でした。両親について、人間はかくあるべきだと、私は信じすぎてしまいました。そうなりたいと思うよう自ら刷り込んでいた。誰もがそんなふうになれるわけがないのに。元来真面目で負けず嫌いでこだわりの強い性格なので、無駄に意思を貫き通して、挫折するごとに心身ともにすり減っていきました。

俺氏14歳、慢性的な肩こりと不眠になり精神科に通い始め5年近く鬱病に苦しむことになり、17歳のころ普通科高校をやめ、寝たきりになったしもう仕方ないと工学部の受験を諦めたのち人生を考え直した結果ひょんなことから1浪で美大に入れちゃって結局双極性障害のせいで退学することに。残念無念、21歳現在、障害者手帳を交付される。

かなり早い段階からまったく父のたくましい姿とは微塵も重ならない人生となってしまい、私は自分が情けないので早く死にたくて仕方がありません。父と同じ優秀な研究者になりたかった。素敵な恋人と出逢っていい車に乗りたかった。せめてやっと手に入れた美術大学という環境でめいっぱい勉強がしたかった。自分の思い通りにならないものが大嫌いです。思い通りにならない空模様とか、人の気持ちとか、自分の体が嫌すぎる。殺したいし死にたい。きっと人生における無数の選択肢から分岐した私のうち99999人は既に辛すぎるという理由で自殺していて、今ブログを書いている私は奇跡的に不幸でずるずる生き延びてしまった1人です。たくさんの人が私を死なないよう励ましたり、私なんかが生きているだけのことを褒めてくれたり、私ごときの人間に感謝したり好意を以て接してくれました、ありがたいことに。20年間の憧れを何一つ手にすることが出来ないまま、憧れに殺される悪夢を繰り返し巻き戻して再生し、また明日、情けない体が情けない声を上げて目覚めるのです。