母の日ギフト

祖父の詩集を買いました。ハードなカバーの本を買うお金なんてないから、父にアマゾンのURLを送って私の住所宛で買ってもらったんですけど。

今年のゴールデンウィーク、初夏のしょうもない連休は人生初のニートの状態で迎えました。最近そろそろ自活せんとあかん言うて土方のアルバイトを始めたはいいけど腰痛になるわ拘束長いわで散々だから休みをたくさんとっていたら、こいつよう休みはるから要らんわと首を言い渡されて、急に暇になってしまったもので、祖母の家に行きました。母方の祖母(以下おばあちゃん)の夫(以下おじいちゃん)はゆるい兵役から帰って以降を物書きとして生きた左翼のハンサムな人でした。おばあちゃんの家へは、孫の顔見せはついでで、おじいちゃんの詩集が欲しくて訪ねました。家にはおじいちゃんの写真、知らない画家が描いてくれた肖像画、ロシヤ語を勉強してソ連に行ったりしたからお土産に買ってこられたマトリョーシカとかなんかの獣の毛皮の帽子とかがきれいにしまってありました。棚にずらりと並べられた詩集や詩評、エッセイ、追悼特集の組まれた雑誌、それらは原本を保存するためここに置いてあるから持ち出してはいけないとのことで、その場で端から読みました。風刺のきいた作風で、ひねくれ具合に少し笑ってしまう。ロシヤの文学とか様々について〜〜みたいな記事はさすがに難しくて、最初の1頁から出てくる固有名詞もまったく分からなかった。全然思い出せない。詩の方の代表作はいくつか教科書か何かに載ってわりとよく知られていたみたい。皮肉っぽすぎて子供に読めるんかいと思った。私のお気に入りは、晩年、内蔵を悪くして病院通いになって、人工透析を始めた頃から入院中に病床で書いたと思われる詩集。今まで通り社会風刺的な作風であったり、自分のことや娘(私のお母さん)のことが素直に書いてある。詩をまともに読んだのは小学校の教科書以来なのでうまい感想が書けないけれど、祖父のことが大好きになった。病院のシーツみたいな真っ白で味のない気持ちになった。私のお母さんのことが書いてある一節「波子が貰ってきた豆腐を冷奴にして……」のところ、お母さんはそう言えば豆腐屋さんでバイトしていたんだっけなと思い出す。「お気に入りの柄のセーターを穴があいたら繕って着て……」とか。結婚して安定してからもずっと貧乏性のまま変わらなかったなあ。お母さんはもうこの世にいないんだけれど。毎年、この時期に母の日とかいう忌々しい祝日がやってくるたびに心が世界と5cmくらい離れ、どんよりと重たい空気で隔たれる。カーネーションの咲くデパートの地下なんかと遠く離れた空気の薄くて暗い場所でひとり泣く。だって世間は母の日で花やプレゼントを贈る日なのに私にはお母さんがいないから。いなくなったからしょうがないんだけど。自らこの世を去ったものだから、もう天国で楽にしててどうぞとしか言えない。天国まで花を届けることはできない。おじいちゃんは、入院中の生き長らえるだけの暮らしが惨めすぎて自殺未遂したことがあるんだって。私も生きるのが辛すぎて首を吊ったことがあるし、母方の遺伝情報が14歳から鬱病なのの原因なんじゃないか。わりと信じてる

 

おばあちゃんは最近、仏壇の購入を検討しているんだって。夫と娘の2人ぶん。曰く、仏壇なんて構えると仏様になってしまう。もういないものだと思いたくないんだ。でも、今ちょっと気が変わってきたらしい。うちの家族と合わせて4人の夕食が終わったあたり、おばあちゃんは残ったイチゴとかを小皿に並べたのを娘の写真の前に置いて「ほら、きっと波子が食べてるよ」と微笑んでいた。