明日は肉じゃがにしようと思う

食べ物の味がわからなくなった。

前に書いた悪夢よりは低い頻度でいつもやってくる現象だからそこまで深く落ち込みはしないが。ここ1ヶ月くらいまったく食欲が無く、というのも、食べ物を咀嚼して飲み込んでも、以前は湧き上がった喜怒哀楽がまったく発生しなくなって、虚しい。いい塩梅にパスタソースが乳化したから嬉しいとか、ナスを入れたせいで彩りが微妙に悪いな次はこうしようとか、いいチーズは香りが違うなーとか全然分からなくなっちゃったからどうでもいい。なので食事をしたくなくなった。ただ生存するためだけに、感情が動きもしないのに無駄に彩られた空虚な燃料補給をさせられるくらいなら、皮膚をカッターで切って血が出てびっくりしているほうがマシ。しないけど。

私は食事が何よりも大好きで、生きがいで、そのための調理も、食べ物を入れる器を選ぶことも大好きだ。旅行先で酒の肴とそこで作られた食器を一つ買ってくるのが楽しみだ。大好きなはずなのに、以前はそれによって得られた大きな大きな喜びが、いっさい消えてしまうのは本当に悲しい。なので食事をやめた。完全に食べないわけでなく、メニューがちゃんとある。最低限の白米に納豆、その他必要な栄養等を全部適当にサプリメントで補うようにした。空腹感にはグルコマンナン(こんにゃく粉。胃の中で膨張する)で対処した。食費がハムスターよりかからないのではと思えるほど浮いた。ほぼ親の援助だけで生活しているとお金を使うのがめちゃめちゃ怖くなるのもあって、節約できているという安心感もあった。1日1食、金魚でももうちょっと食べるんじゃないか。

結果、20日くらいはバリバリフルタイムで労働を続けられてとくに問題は無いように思えた。頭は以前と変わらないくらいに冴えていて、少し痩せた。が、鬱の悪化によって、今週は設定した“最低限”すら摂取しなくなり、昨日、栄養失調で倒れそうになった。味覚の鈍麻は鬱の前兆だったということで、恐れていた事態だが抗えないことでもあった。

電話がかかってきてなんか食えと言われたので、なんとか体を起こし、顔に一昨日の化粧が残ったままでピザを解凍した。ドミノ・ピザのチーズンロール奴が好きすぎて1/2枚冷凍してとっておいたのだ。チーズンロールは最高だ。解凍にちょっとコツがいる。その間に、久しぶりに自炊を、自分のために料理をした。味噌汁を作った。あまり記憶が無いが、コンビニでプロテイン用の牛乳となんか食材を買ってあったのでぶち込んだ。いい味噌汁ができた。はずだった。

ピザを食べてみる。あぁ_?味噌汁を一口。味がしねー!全部後悔した。死にたいな。お出汁をとって丁寧に味噌をとかしてやった味噌汁の味がしない。ピザはなんか塩分が多いのは分かる。体内の水分を持っていかれる塩分濃度だなと思った。それ以外わからない。おいしいのかおいしくないのかわからない。もう何も食べたくない。鬱の波に抗えない弱っちい身体が憎くて、みじめな気持ちになってまた床についた。

食べ物の味がしなくなると、鬱で自殺した母親の最期に作った肉じゃががありえないくらい塩っぱかったのを思い出してなおさら嫌になる。この味噌汁はきっと丁度いい味付けにできたはず。

朝になって残りを温めて飲んでみたら、やはり虚無になってしまった。調子が良くない。

 

ちょうど去年の食卓と、昨日

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修学旅行

高校時代の出来事すら思い出せないほど、昔のことを覚えていない。というか、記憶の引き出しが2つほどしかなくて、比較的新しいことを入れるのともう当分使いそうにない古い記憶を入れる方があって、後者になんでもかんでも、昨日のことでも思い出したくないものからめちゃめちゃに放り込んでいたら大小様々な記憶が複雑に入り組んでひっかかってどれも取り出せなくなってしまった。いつも前者のぱっと手に取れて扱いやすい情報しか知らない。私は私をあまり信用していない。周囲にお前はこうだと言われたりしたら、ああ自分はそうなんですねと都度、適当に受け入れて過ごしているが、できれば私は私にとって都合がいいようにしていたいし、そうあることができなければ死にたくなって死んじゃうので、私は私に都合のいい私しか知らない。都合の悪い私を与えられたら無視してしまう。そういうのは2つ目の引き出しの奥に押し込んでしまってなかったことにする。嫌な記憶を勝手に消してしまうのだから虚言なんかと悪質さは変わらないだろう。好きなものに囲まれて暮らすのは最高なんだが。世の中の大半の人間にはもっと雑多に情報があって、いいこと悪いことひっくるめて噛み締め生きているのだろうか。

エッセイストとかコラムニストがたまに幼少期のエピソードを持ち出してちょっといい事を言っているけれども、あれが私には無理だ。幼少期どころか高校時代まで思い出せない。でもポケモンの名前と進化する条件は全部覚えている。それ以外わからない。増殖バグ技を教えてあげると言われてポケットモンスタールビーを貸したらなぜか大事なグラードンだけ消えた状態で返されたことは忘れていない。ラグラージが一番好きだったんだ。中学校に毎日制服で行くのと自分がブサイクなのが嫌すぎたこと、小さな悪戯だかいじめかを受けたのをきっかけに学校に行くのをやめてからネトゲ廃人になったこと、それからしばらく経って中学3年夏、依存しきっていたゲームも音楽もインターネットの世界も一切捨てて勉強しまくったらやっと入れた公立高校でもいじめられて行かなくなったこと、いじめの内容は実にショボくサッカー部の男子のジャンケンで負けたやつが私に一言話しかけてくるということ、忘れない。男性嫌悪に何年も苦しんだ。私が何もしてなくても浮いた存在だったからだろうし今もそうで仕方が無いけど私が語れる思い出話はマジでこれしかない。

おっと、いいことを思い出した。高3のころに大森靖子を聞きながらクソでかい真っ黒のカラコンをつけて化粧を覚えたのだけど、それはサブカルインターネットミームに染められた私が悲なみちゃんとももちゃん14歳になりたかったからだ。その時から私のIDはnununu14saiなのだ。

ちょっと昔のことを思えば見るに堪えない長文ばかり吐き出す私には、幼少期や学生時代ほのぼの話なんか語れる人間がわからない。信用できないのではない。何をしたら昔の中からいい話が出てくる?友達とは?友達ってなんだ?美術室にあるもので作れる?積んだ徳の数か?締切に負われるあまり記憶までも捏造したか?見栄を張ってなにかの本で読んだフィクションから引用した話ではない?お前らみんな嘘つきか?え、本当に?マジで?嘘をついて騙さないでくれ。

もう私のそばにいてくれるのは西村賢太だけだ。さようなら。

ストラテラ大体ゆめ

悪夢をよく見ます。全体の風景に色は少なくてモノクロに近い。繁華街の外れの入り組んだ道を、めちゃくちゃ凶暴で鬼の形相の、母親が追いかけてきて私を滅多刺しにします。バイオハザードのゲームみたいな、リアルだけど妙にチープな色の血が出まくって私は傷だらけ、痛い痛い、これでもかといくつも致命傷を負って、それでもなぜか何時間も生きています。生きたまま殺されている。怖すぎる。痛い。逃げたくても思うように体を動かせず、凶器でズタズタにされるがまま。しまいには、体との比率が狂った異様にでかい手で首を絞められ、現実の私がいきなり絶叫して目を覚まします。母親でなく父親が凶暴化した姿で出ることもあります。こんな悪夢が、ひどい時には丸2週間くらい続いて、眠るのが怖いからずっと起きていようとしたら、離人してきたのでやめました。最近は忘れた頃にひょこっと悪夢があらわれるくらいになりました。

私の家庭に暴力はほぼ無く、平和でした。幼少期の思い出やトラウマ、昨日の嫌な出来事とかでも無ければその夢は何なのかというと、私の憧れが私を殺す姿に他なりません。父と母は私の理想そのものであり、父は私に対して、俺のように立派になるといいぞ(この場合の立派とは、いい大学に入っていい企業に就職し安定した暮らしと結婚相手を見つけること)と教育してきました。父は私になんでも与えてくれました。学校の友達と遊ぶゲームボーイ、水泳とテニススクール、絵画教室、学習塾にも望めば入れてくれた。勉強は成績が良ければ褒めてくれたけど、悪い教科についてとくに叱られなくて、興味のあることを好きなだけ勉強させてくれました。頭がいい人ってこういう人を言うんだなあ、お金に困らないってサイコーだなあと。その父と結ばれた母親は父のように優しくて、面白くて、少し変で、江口寿史みうらじゅんが好きで、いつも化粧の時間が長いけど綺麗な人でした。両親について、人間はかくあるべきだと、私は信じすぎてしまいました。そうなりたいと思うよう自ら刷り込んでいた。誰もがそんなふうになれるわけがないのに。元来真面目で負けず嫌いでこだわりの強い性格なので、無駄に意思を貫き通して、挫折するごとに心身ともにすり減っていきました。

俺氏14歳、慢性的な肩こりと不眠になり精神科に通い始め5年近く鬱病に苦しむことになり、17歳のころ普通科高校をやめ、寝たきりになったしもう仕方ないと工学部の受験を諦めたのち人生を考え直した結果ひょんなことから1浪で美大に入れちゃって結局双極性障害のせいで退学することに。残念無念、21歳現在、障害者手帳を交付される。

かなり早い段階からまったく父のたくましい姿とは微塵も重ならない人生となってしまい、私は自分が情けないので早く死にたくて仕方がありません。父と同じ優秀な研究者になりたかった。素敵な恋人と出逢っていい車に乗りたかった。せめてやっと手に入れた美術大学という環境でめいっぱい勉強がしたかった。自分の思い通りにならないものが大嫌いです。思い通りにならない空模様とか、人の気持ちとか、自分の体が嫌すぎる。殺したいし死にたい。きっと人生における無数の選択肢から分岐した私のうち99999人は既に辛すぎるという理由で自殺していて、今ブログを書いている私は奇跡的に不幸でずるずる生き延びてしまった1人です。たくさんの人が私を死なないよう励ましたり、私なんかが生きているだけのことを褒めてくれたり、私ごときの人間に感謝したり好意を以て接してくれました、ありがたいことに。20年間の憧れを何一つ手にすることが出来ないまま、憧れに殺される悪夢を繰り返し巻き戻して再生し、また明日、情けない体が情けない声を上げて目覚めるのです。

XYZ

単純な寂しさを紛らわすため、突然メールを寄越した男に今から朝まで付き合うほど私は堕ちない、男にじゃなくて、私の心の脆い場所にすっぽり空いた巨大な穴にいちばん大事にしているものをうっかりで落とさないことだ。たとえ男のさみしさが複雑だったとしても関係ない、都合よく召喚できるモンスターカードだと思われていたって腹が立つこともない。私は単純に寂しくなった気持ちを持ち帰ってベッドで抱えたままぐっすり眠れるようになった。大人だから。

明日も明後日もこの先ずっと、複雑に好きな人と会えば夜は単純に寂しくなって、そのたびに人生のエクストラステージとかミニゲームをひたすらやり込んで無駄なトロフィーをとることに専念する。本編のイージーモードさえクリアできると期待しない努力をするしかない。

ペディキュアのこと

足の爪に3段階のサンドをかけ研磨しコーティングを施したら艶が出て見栄えが良くなった。足の先が光ってるとなんか悪くない気分だ、めったに手の爪もアレしないからか新鮮な光景だ、まったく悪くない。しかし私は爪を研磨することによって見栄え以上の何かを得たかったはず、重要なのは上手にコートを塗れることでも、爪の先にまでケアが行き届いたいい女であることでも、サンダル履きの足にアクセントカラーをさすことでもなく、私は本当に認められたくてしょうがないだけだ。私だけに向けられる愛が欲しい。自分で自分のことは常日頃ほめちぎって生きている、私は自分が大好きだと掘った穴にでもつぶやく、だってそうしないと私の底無しの承認欲求が満たされないから。そして他人は誰も、私だけに愛を注いではくれなくて、私にだけ注がれる愛は、私以外に持ちえないものだ。私は私からの承認を無限に欲する。私だけに向けられる私による私への愛がもっともっと欲しい。無限に認めたい。そこらの男からのちんけな好きや愛してるはあまりにも軽く思えて取るに足らない。命を懸けろよ。命を、人生を懸けているんだこっちは。私と対等に愛し合えますか?覚悟もないザコが散れ。私は私への愛が重すぎてずるずるとすり減っているきっともう長くない命を、私への愛に生き死ななければならない。あとどれだけ私を可愛がって、頭の悪さから爪の先まで認めてあげたら、私は満足するでしょうか。何もかもわからないけど、死ぬまで愛してる、命にかえても(自明)

母の日ギフト

祖父の詩集を買いました。ハードなカバーの本を買うお金なんてないから、父にアマゾンのURLを送って私の住所宛で買ってもらったんですけど。

今年のゴールデンウィーク、初夏のしょうもない連休は人生初のニートの状態で迎えました。最近そろそろ自活せんとあかん言うて土方のアルバイトを始めたはいいけど腰痛になるわ拘束長いわで散々だから休みをたくさんとっていたら、こいつよう休みはるから要らんわと首を言い渡されて、急に暇になってしまったもので、祖母の家に行きました。母方の祖母(以下おばあちゃん)の夫(以下おじいちゃん)はゆるい兵役から帰って以降を物書きとして生きた左翼のハンサムな人でした。おばあちゃんの家へは、孫の顔見せはついでで、おじいちゃんの詩集が欲しくて訪ねました。家にはおじいちゃんの写真、知らない画家が描いてくれた肖像画、ロシヤ語を勉強してソ連に行ったりしたからお土産に買ってこられたマトリョーシカとかなんかの獣の毛皮の帽子とかがきれいにしまってありました。棚にずらりと並べられた詩集や詩評、エッセイ、追悼特集の組まれた雑誌、それらは原本を保存するためここに置いてあるから持ち出してはいけないとのことで、その場で端から読みました。風刺のきいた作風で、ひねくれ具合に少し笑ってしまう。ロシヤの文学とか様々について〜〜みたいな記事はさすがに難しくて、最初の1頁から出てくる固有名詞もまったく分からなかった。全然思い出せない。詩の方の代表作はいくつか教科書か何かに載ってわりとよく知られていたみたい。皮肉っぽすぎて子供に読めるんかいと思った。私のお気に入りは、晩年、内蔵を悪くして病院通いになって、人工透析を始めた頃から入院中に病床で書いたと思われる詩集。今まで通り社会風刺的な作風であったり、自分のことや娘(私のお母さん)のことが素直に書いてある。詩をまともに読んだのは小学校の教科書以来なのでうまい感想が書けないけれど、祖父のことが大好きになった。病院のシーツみたいな真っ白で味のない気持ちになった。私のお母さんのことが書いてある一節「波子が貰ってきた豆腐を冷奴にして……」のところ、お母さんはそう言えば豆腐屋さんでバイトしていたんだっけなと思い出す。「お気に入りの柄のセーターを穴があいたら繕って着て……」とか。結婚して安定してからもずっと貧乏性のまま変わらなかったなあ。お母さんはもうこの世にいないんだけれど。毎年、この時期に母の日とかいう忌々しい祝日がやってくるたびに心が世界と5cmくらい離れ、どんよりと重たい空気で隔たれる。カーネーションの咲くデパートの地下なんかと遠く離れた空気の薄くて暗い場所でひとり泣く。だって世間は母の日で花やプレゼントを贈る日なのに私にはお母さんがいないから。いなくなったからしょうがないんだけど。自らこの世を去ったものだから、もう天国で楽にしててどうぞとしか言えない。天国まで花を届けることはできない。おじいちゃんは、入院中の生き長らえるだけの暮らしが惨めすぎて自殺未遂したことがあるんだって。私も生きるのが辛すぎて首を吊ったことがあるし、母方の遺伝情報が14歳から鬱病なのの原因なんじゃないか。わりと信じてる

 

おばあちゃんは最近、仏壇の購入を検討しているんだって。夫と娘の2人ぶん。曰く、仏壇なんて構えると仏様になってしまう。もういないものだと思いたくないんだ。でも、今ちょっと気が変わってきたらしい。うちの家族と合わせて4人の夕食が終わったあたり、おばあちゃんは残ったイチゴとかを小皿に並べたのを娘の写真の前に置いて「ほら、きっと波子が食べてるよ」と微笑んでいた。